手越担になった話
手越くんって可愛いよね〜〜〜〜〜〜〜
(1年前まで北山くんにズブズブだった女)(今も好きだよ!!!)
キスマイ一筋8年だった私が手越くんに落ちた話をどうしても、どうしても、どうしても(なぜ3回)したかったのでブログにまとめました!!!めっちゃ長いっす!!!さーせん!!!
北山くんとの出会い
(いや手越くんの話するんやないんかい)
手越くんに落ちた話、割と自分でもドラマティックだと思ってるからここからさせてほしいの!!!
わたしが北山くんに落ちたのは小学生の頃、オタクごとにはまったくくわしくないけど姉ちゃんの影響で毎週BS2で少クラを何気なーく見てました。(BS2って響きがもう懐かしい)
そこで出会ったのが、そう、北山くん。
この頃のキスマイはマジでギラついててアイドル卍〜みたいなかんじだったから(どんなだよ)第一印象はまじで怖いお兄さんたちだった。
当時のわたしはまだ全然小さかったからキスマイの下積み時代とか知らなくてデビューがどんなことかもわかんないからただキスマイを目でおってるだけだった。そのあと、地上波でドワンゴの「解禁」のCMが流れて、お!この歌知ってる!ってなって、美咲ナンバーワンとか出て、あ!北山くんだっ!ってなって
気付いたらデビューしてて、そして気付いたらCD買ってたよね、うん。(ちなみにわたしが自分のお小遣いで始めてかったCDがエビバデなのはこれからも自分の美談にしたいと思ってる所存です!)
そんなこんなで、キスマイに順調に落ちていくわけなんですけど、ここでオタク生活始まって初めての危機
高校受験
自分のランクが低いことがわかってたし、親には安全圏を第一志望にした方がいいってずっといわれてて、自分の行きたかった高校が手の届かないところにあった。でも自分は無駄にプライドが高いからどうしてもその高校に行きたくて、絶対に模試で合格圏内の判定を取って親を説得するために一度オタクをやめた。
今まで撮り溜めてたキスマイブサイクも、結構時間かけて編集した音楽番組も全部消して、雑誌も全部縛ったし、キスマイには絶対に触れないようにした。(CDとかDVDは少ないお小遣いためて買ったものだから捨てずにダンボールガムテでぐるぐるにしておくに閉まって絶対に見れないようにした)
ちょうどThank youじゃん!のリリースのタイミングだったんだけど、我ながらよくやったと思ってる。結局、地理的な問題で自分の行きたい学校にはいかなかったんだけど、受験本番は自分の今までの最高点だったし、そこそこの高校に進学して全然後悔はなかった。
高校にはいって、課題とか部活とかで忙しかったけど始めてキスマイのコンサートに行って、キスマイの「生」に圧倒されてオタクと勉強と部活を両立する生活をしてた。(あとね高校になって小遣いが増えたからこの頃三形態買いを覚えた)
部活がゴリゴリじゃなかった分、自分の中ではオタクしながらでも勉強はそこそこついてけてると思ってた。
そんなこんなで楽しい高校生活も3年になった時、次なるオタク生活始まって二度目の危機
大学受験
いや〜辛かった!辛いってもんじゃないぐらい辛かった!!!辛いのよ!!ほんとに!!!(うるさい)
高三になってもキスマイにズブズブだったわたしは6月模試、あんまりいい結果を残せなかった。だけどわたしは高校になって三形態買いをおぼえてしまっていたのでほんとにズブズブだったのね、(三形態買う話めっちゃするけど、これ本当に嬉しかったの!)
6月にキスマイのピキラが出たからそれ家で見てたらお母さんに「もっと勉強した方がいいんじゃない?」って。両親とも子どもに勉強しなさい!っていう方針じゃなかったからそれにものすごくビビってしまったし、模試の結果が思った以上に悪かったのもあって、もしかしたら大学に行けないんじゃないかって。
その時に、中学の頃の受験を思い出した。中学の時、キスマイを絶ったから高校に合格できた。だったら、大学受験もキスマイを断とうって。まだ数回しか見てないPICK IT UP の円盤をタンスの奥にしまってもう一回心入れ替えて勉強頑張ろうと思った。
大学受験は高校受験みたいにスルスル行くものじゃなかった。受験の天王山と呼ばれる夏休みはほぼほぼ学校に行って、補講と模試の繰り返し。夏休みが終わったら1ヶ月に2回は模試。運動部じゃない私は、夏の引退後にすぐに勉強モードに切り替えられるわけもなく、先生や親からの期待とは反して成績が大きく伸びることはなかった。
その後も激弱メンタルの私は繰り返される模試にただただ体力と気力だけを奪われ、模試の結果を見て一喜一憂するだけになってしまっていた。それでも、なぜが無駄にプライドが高い私は、自分の中での第一志望は絶対に譲れなかった。
高校受験でうまく行った私はどこか調子に乗っていた部分もあって、短期間でもなんとかなるって絶対に受かるって信じてた。でも、あとでただ信じてただけだったって、何もしてなかったって気づいた。
私は試験に近づくにつれて体調を崩しやすくなった(豆腐メンタルあるある)それでも、最後まで、最後までって先生にも両親にも背中を押されてとりあえず第1関門のセンターまで踏ん張った。だけど、センターの結果はボロボロ。センターの自己採点が終わった日、家に帰って泣きまくった。もう無理だと思った。
だけど、自分の第一志望は譲る気は無かった。(謎の自信)センターの判定はC判定。二次の配点が大きいわけでもないのに、自分の得意科目でもないのに、絶対に受かるって信じてた。先生にも、本当は進めたくないけど、そこまであなたが強気ならって背中を押してくれた。
それから、二次に向けて勉強を進めた。だけど、もし落ちた時のことも考えて関東圏の私立をいくつか受験することも考えていた。
(お待たせしてます!本題はここからですよ!!!!いや〜長かった!!!!)
私立受験
私立受験は、ど緊張だった。無駄にプライドの私が確実に滑り止まる大学を受けるはずもなく、背水の陣で挑んだ受験だった。だから、絶対に失敗できないというプレッシャーがはんぱなかった。それに加えて、全く下見をしなかった大学を受けに行くことができるかどうか(お上りさんで方向音痴なもんで)、3日連続の試験に体力的にも精神的にも耐えれるかどうか、自分で自分にものすごい量のプレッシャーをかけていた。
お腹も壊して、胃腸もめっちゃ荒れて試験の2日目、あと1日のところで自分の中の線がプツンと切れてしまった。都会の道端で号泣して、もう帰ると父親にすがった。父親は戸惑っていたが、私を怒るわけでもなく、じゃあ明日試験をせずに帰ろうと言ってくれた。
ホテルに帰って、自分の中の気持ちが収まったところで父親が今日は勉強しなくていいからとホテルのテレビをつけた。朝のニュース以外でひっさしぶりにテレビを見た。その時に見たのが、手越くんのノーチャラ生活だった。
(画像のチョイス)
今は手越くんかわいい〜〜〜の視点でしか見てないイッテQがその時は本当に心の救いだった。なんて楽しい人なんだって。キスマイが好きだったから手越くんはハンパねぇ存在として認知していたけど、正直アイドルなのにここまで振り切るすごい人であることは知らなかった。
その時に声出して笑って、気持ちが落ち着いたのか明日のラストいける気がして、お父さんに明日のテスト受けるねって。
次の日、全部は出し切れなかったけどちゃんとテストを受けて地元に帰った。
地元に帰った後も、二次試験が控えているから気が抜けることもなく勉強は続けていた。そして、私立の影響もあってか元気がない時は3分くらいの手越くんの動画を見るようになっていた。
手越くんの底抜けな明るさにもたくさん救われてきたし、ラジオで手越くんがお悩み相談をしてる回とかを聞いて、自分を奮い立たせてきた。
そんなこんなで、次第に二次試験の日が近づいてきていた。小論の添削も何度も何度も先生にお願いして、自分のできることはやってきたつもりだった。
二次試験の前日、一緒に試験場の近くまで行く予定だった母親が熱を出した。父親もその日予定があって、母親が着いてこれないとわたし1人で行くことになってしまった。不安でたまらなかった。下見に行かないマンだったし、試験以外のことは母親に任せっきりだったから前日の夜に1から電車と、バスとホテルと大学までの行き方の位置確認を何度も、何度もした。
今度こそダメだと思った。その時に、なぜかふと手越くんの存在を思い出した。手越くんが気になっていた自分はなぜか奇跡的に少プレを録画していた。
母親に、父親にもう迷惑はかけられないし、ここで泣いちゃダメだと思った。寝る前にちょっとだけ録画してあった少プレを誰にもバレないようにコソッと見た。手越くんから何か元気をもらえるんじゃないかと思った。
その時の少プレがこれ。
当時、冬季オリンピックと被っていたこともあって、オリンピックで頑張る選手たちに向けたメドレーが目に留まった。
U R not alone との出会いだった。試験が終わるまで泣かないと決めてたわたしだったけど、その歌を初めて聞いて、テレビの前でボッロボロに泣いていた。
NEWSの歌はweeeekとさくらガールぐらいしか知らなかったわたしが初めて真剣に、NEWSが歌っているところを見た。
カラダを折って、前のめりになって、苦しそうにそれでも楽しそうに、全身全霊をかけて歌う姿に鳥肌がたった。一生懸命に届けようと歌う姿がめちゃくちゃかっこよかった。
歌詞がその時の自分そのまんまだった。
センターの結果が悪くて、もう諦めろといった先生もいた。誰かに笑われた志望校に挑戦する自分。
精神的にきつくて全部を諦めようとした。それでも自分の中の何かがいつも自分を奮い立たせていた。
目指している大学に絶対に受かってやるって思った。そう決めたから、
どんなに辛くても一緒に頑張ってきた友人がいた。
「力を貸してくれないか、昨日までの僕よ。共に乗り越えてきたじゃないか」
生まれた日から今日までの僕が見てる明日もそう少しずつ前へnot alone」
この歌詞を聞いた時、今までの自分の努力だけじゃなくて、受験期を一緒になって声をかけてくれた両親、先生、辛くてもこえを掛け合ってきた友人が走馬灯のように巡って、本当に曲名の通り1人じゃない、1人じゃないんだって。ここで負けちゃいけないって。初めてこんなにも"歌"に力をもらった。
二次試験の結果は不合格だった。誰のせいでもない、ただただ自分のせいだった。(ここまできたらそれで救われて成功した話に持ってきたかったけど現実は甘くなかった)
第一志望不合格を背負ったまま、上京することが決まった。後期試験の結果も待ってからだったので、上京が決まったのは本当に3月の最終週で入学式までもう1週間を切っていた。気持ちに整理がつかないまま、都会に圧倒されるままだった。
一人暮らしがはじまり、人見知りなわたしは友達もすぐに作ることはできなかった。家に帰ってずっと泣いていた。地元に、両親のいる実家に何度も何度も帰りたいと思った。母親からの電話は泣いてしまうからという理由で取らないことがおおかった。(今でも辛いことがあったらそうだけど)
そんな時も、NEWSの歌を何度も何度も飽きるまで聞きまくった。
このままだとダメだと思った。地元に帰ることもできるけど、なんとかしなければならない。
手越くんに向けられたお悩み相談で、過去のことを振り返りますか???というラジオの文字起こしの動画をその時にみた。
手越くんの「過去を振り返って後悔する時間があったら今どうしたいかを考える」(ニュアンス)
この手越くんの言葉に、奮起させられた。弱っちいまま一人暮らしを諦めて地元に帰るくらいなら、もっと成長して帰ってやるって。
そのあと、色んな所に身を置いた。新しいことにチャレンジするのが大嫌いだったわたしが人生で初めて運動を始めた。
メンタル弱々人間だから何度も何度もやめようと思った。その度に悩んで、そしてNEWSに救われてきた。
そんなこんなで約一年が過ぎた。
初めてNEWSのコンサートに行くことになった。最初で最期の宇宙旅行。
1月7日。東京ドームオーラス公演。
1人だけど、絶対に楽しむ自信があった。
うちわもポスターもたくさん買って、増田さんとか慶ちゃんとかシゲの姿みたいな〜なんてかるーい気持ちで会場入りした。
一曲目のEPCOTIAでうわ〜世界観〜!!!!ってなると思いきや、2番になってNEWSが出てきて、手越くんの「2018 そうさ、偉大な一歩
始めろカウンドダウン」のセリフを聞いた時、全然泣くような歌詞でもなんでもないのに、手越くんをみて、手越くんの歌声を聴いてボロボロに泣いていた。辛かった受験のこと、上京してから今までのこと全部無駄じゃなかったんだって。手越くんの歌声を聞いてそう思った。
三曲目のU R not alone は全力で泣きながら歌った。この曲に何度も救われたし、これからも何度も救われるんだろうなって。
生きろもめっちゃ泣いてた。
そして、エンディングのHAPPY ENDING
この曲はアルバム聞いた時に自分の中ではあんまりしっくりこなかったんだけど、なんならこの日のライブで一番泣いてた。
どんなに辛くたって、幸せが待ってるってありがちな歌詞だけれども、手越くんに幸せが待ってるからって言われたらもうそれは待ってるに決まってるじゃん???
U R not alone も、HAPPY ENDING もそうだけど、絶対に頑張れって言わないのよ。どちらも頑張ってって軽々しく、突き放していうんじゃなくて、頑張ってる姿知ってるからって言って背中を押してくれるのがいいんだぁ。
頑張りを認めてくれてるから、自分も1人じゃないって思えるのかなってそんな風に思わせてくれて余計に涙が出ちゃうんだろなって。
今まで、コンサートとか言って泣く人のことをちょっと冷めた目で見てたんだけど(おい)初めて、こんなにもコンサートで泣いてしまってお恥ずかしい限りです。でも、たしかにNEWSはいつも背中を押してくれるからこちらも背中を押したくなるんだろうなって、そんな風に思ってわたしはNEWS担に手越担になりました。
手越くんのファンに向けるキラッキラの笑顔最高だった!!!!!!
これがわたしが手越くんに落ちた話です。
手越くんもNEWSも大好き😘😘😘